2009-QA::資本主義の次の経済段階について

Q :

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Ans:

資本主義の課題

資本主義は、 生産資本(物的、人的な)を増強することで、生産性が向上する=>その分、生活が豊かになるということを是としていると認識します。

科学技術が発達した現在、 資本を増強するには、それなりの投資が必要。設備投資だったり、開発投資だったり。このそれなりの投資は、金融業からお金を借りて、将来に得るカネを前もって得ることで、現在の投資ができるという感じと認識する。

この金融業から金を借りて、現在の投資をするという部分が、資本主義の大きな課題。イスラム圏のように、金を貸すときに、無利子にするのが、本来の在り方と判断するが・・・

現代の金融資本は、お金に利子をつけて貸す。それは貸す側のリスクがあるとか、お金が時間でモノを生むみたいな屁理屈をつけて、正当化している。

が、金融資本が貸したお金は、利子がついているので、借りた側は、その利子分だけ生産性を向上させないと、利子を返せない。つまり、利子分だけ、生産性が向上することが前提となる。

この利子分だけ、生産性が向上するというのは、つまり、利子分だけ経済が成長するということ。

金融業が、お金を貸すことで、できる貨幣を、信用創造(Money Creation)というが、金融業がお金を貸してできるお金は利子分だけ、増えないと、貸し倒れが発生する。

現在の社会は、金融業が貸した利子分だけ、経済が成長しないと成立しない仕組みになっている。これが、何故か、経済学では正当化されている。

実際のMoney Creationは、万年筆マネーであり、無から突然、お金を生み出す仕組みになっており、無尽蔵に万年筆でマネーを生み出すことも可能であるが、社会として、そのMoney Creationに規制をかけている。それが、金利や準備金などの銀行に対する規制である。

GDPと経済における借金

GDPは、以下の①②③④が関係する。

国内の民間企業の利益と借金・・・①
国内の民間個人の利益と借金・・・②
国内の政府の利益と借金・・・・・③
国外との輸出と輸入・・・・・・・④

①+②+③+④=ゼロとなる。

民間企業は、無借金経営や株主至上で、利益を出すことが是
民間個人は、高齢化などにより、貯金を殖やしていく
で、輸出と輸入は、国際貿易的には、トントンを目指している。

高度成長後の先進国は、①+②+③+④=ゼロの式で考えると、 ③の国内の政府の借金が、重要な位置づけを担うことは明らか。

で、今現在の状況では、民間の借金が増えないため、 政府の借金が増えるしかない状況。

これは、経済学的に考えると、自明な事象。

上記のような自明な事象が発生しているのに、それを問題視し、改善しようとしても、何の有効な対策がない。(ここ30年の日本の状況)

結論として、経済学に欠陥があると判断され、それを議論するために、MMTという論旨が出たと認識する。

金融業が貸した利子分だけ、経済が成長しないと成立しない仕組みを議論しようとすると、経済成長という曖昧な定義で、経済が低成長になると、自殺が増え、国民の所得は減り、国民生活は豊かにならない・・・という言説で一蹴される。

何が、国民のとっての豊かさなのかがポイントだと感じる。

GDPを成長させるために、社会がしたこと

GDPを上げるために、社会は、ムダな仕事を増やしてきた。

自分たちで子育てすれば、その費用は、GDPにはカウントされないが、 他人に子育てを依頼すれば、その子育て費用は、GDPにカウントされる。

自分たちで介護すれば、その費用はGDPにはカウントされないが、 他人に介護を依頼すれば、その介護費用は、GDPにカウントされる。

80年代に、働いていなかった家庭の女性を、働き手とすることで、GDPを増やした。

2010年代に、60歳以上のヒトを、働き手とすることで、GDPを増やした。

平日、休日、24時間365日サービスすることが是とされ、昼夜とわずに稼働することでGDPを増やした。

社会的な意味付けはあるにせよ、経済学的な視点としては、GDPを成長させるために、24時間休みなく働き、70歳まで働くべきみたいな時代になっている。

分業による経済成長

高度に分業化し、リカードの法則のような机上の空論で、分業を推進してきた。分業により、確かに、生産性が上がった時代があった。

が、分業化により、市場での製品・サービスの流通が促進され、価値評価として貨幣が重要な位置づけになった。

貨幣が、製品やサービスの交換時の価値基準となり、結果として、貨幣そのものが価値あるものとなった。

昭和の時代までは、成金は、裏で蔑まれていたが、平成時は、カネがあることがステータスになり、成金は価値を生み出したヒトとして、尊敬?の対象となっている。

分業をもとに生産性を向上し、それを成立させるために貨幣経済市場経済が推進された。で、生産したものの価値の総和そのものが、貨幣で測られ、それがGDP信仰になっている。

GDPは、大量生産、大量消費の時代は、経済を測る指標として、分かりやすく、経済実体を示していた。

が、大量消費が見直されている時代に、価値を貨幣総計で測ることを、見直すべきなのかもしれない。

ただ、ヒトの経済活動は、ヒトの欲望をDrivenに活性化されており、貨幣への欲であったり、所有への欲であったり、安全安心安定に対する欲であったりを活用しないと、経済が活性化しない。

そのような人間の欲望を捉えて、自由市場で需要と供給をバランスさせる自由経済が、一部の頭のいい人が、需要と供給の計画を作り計画通りに社会を運営する計画経済を駆逐した歴史がある。

欲望に自由であるが、貨幣を信仰しないような経済が望まれる。

西洋の思想を疑う

ちなみに、西欧は極端ですね。その理由はわかりませんが・・・

明治時代に、極端な西欧文化が、最先端で、それを取り入れるべきという政策が打たれ、その後、令和になっても、西欧の考え方が、あたかも素晴らしいモノとして、日本では盲目的に取り入れています。特に、知識人は。

西欧の考えは、別にいい考えではない。例えば、新自由主義?(そのような言葉はないというヒトもいますが)は、アメリカとイギリスで流行ったある一部の経済思想です。が、ある時期、新自由主義でないと、時代に乗り遅れる、世界で戦うには新自由主義を取り入れるべきみたいな言説が席巻しました。で、株主至上主義な経済になりました。

西欧は、昔、植民地を拡げて、日本とタイと中国以外の有色人種をすべて植民地支配しました。その後、今になって、差別がどうのこうのという言説に変わりました。西欧の知見は、そんな感じで、極端から極端に振れる。

新自由主義も、極端に振れた例で、だからこそ、MMTのような、極端な言説が出てくる。

多分、西欧の極端な言論に対して、アジア独自の思想で、経済運営が重要になっていくのかなぁと感じます。

以上