2010-Moneyの本質とは

Q :

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Ans :

現代は、 高度に分業が進んだため、自分が生み出す価値は、市場で交換せざるえないのです。その交換時に、共通の尺度になるのが、貨幣です。

分業を成立させるには、貨幣による価値尺度が必要です。 また、貨幣は、その場で価値交換しなくても、あとあとに、価値を取っておいて、必要な時に、交換することが可能です。

そういった意味では、「空間と時間を越えた価値の蓄積」であり、価値を生み出すのがヒトの労働であるので、労働に生み出された価値を保持する機能と言えます。

ヒトの生産するものの価値は、市場で、その価値を認められ、交換できることが前提となってしまいました。

ヒトの生産するものの価値は、貨幣で測られて、貨幣価値の高いものを生産するヒトが偉い見たくなりましたね。

ただ、ヒトの幸せを考えた時に、 ある一定金額(700万円?くらい)以上は、いくらもうけても、幸福感は変わらないという論説もあります。

幸福という視点では、ある金額以上の貨幣は、あまり価値がないのかもしれない。

日本の場合は、憲法に勤労をうたっており、日本人は、 働くことが当たり前なのです。西洋は、貴族は労働を卑しいこととしてました。なので、西洋的な思想では、働くことに、宗教的な意味を持たせたりしていますね(プロ倫とか)

私は日本人なので、日本人的に、勤労を尊びます。

で、勤労の価値として、貨幣をどう位置付けるかなのかと思います。

うまく言えないですが、

市場で価値あるものを生産した方が、それを市場で交換することで、購入した側に価値を与え、喜ばれるはずなので、市場に価値あるものを提供するのが、勤労の意味であり、それが生きがいになればいいと思います。

ただ、自分にとっての生きがいとなる活動(勤労)が、市場で無価値に近いこともある。難しいですね。

で、貨幣の本質ですが、自分が生きていく中で、自分の勤労を市場で交換する以上、貨幣は必要ですが、交換手段としてそれ以上でもそれ以下でもない。

生まれてから死ぬまでで、その個人(家族)が、必要量を確保できればいいと感じます。

個人から見た場合、限られている資源の一番は、時間です。

その時間という資源を、如何に有効に配分するかが、個人から見た経済最適化なのだと思います。

労働者的には、時間に時給という単位で価値が紐づけられています。時給換算で、高いほど、価値ある仕事となるのでしょうが、

時間を使うにあたり、市場を通さない活動(つまり、時間に対して価値を交換しない活動)が、ヒトの人生にとって有意義と感じる可能性もあります。

ただ、現代は、貨幣価値が絶対的な地位を確立しているようで、 経済活動を価値ある活動として、寝る暇を惜しんで、経済活動に精を出すヒトも多いです。また、消費に価値を見いだす方もいます。

自分の時間を、人生の目的(Goal)から見て、価値ある活動に、有効に最適に利用したいものです。