2011-社会におけるリスク対応

Q :

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp

Ans :

リスクに寛容になれないのは、 現代の日本が、リスクをとることに寛容でないからです。

で、他人が、自己責任でリスクをとると、とった結果で、第三者的に、批判、非難する・・・そういう時代です。

マスコミなどは、リスクを取らないよう、批判、非難が出ないように、報道するし 行政も、リスクを取らないよう、批判、非難が出ないように、政策を行う。

責任ある立場に着くヒトほど、リスクを取らないのが、現代の日本なのです。

新型コロナのリスクに寛容になれないのは、現代の日本の縮図なのです。

6割以上の方が、新型コロナのリスクを、実は、さほど危険ではないと認識しないと、つまりは、リスクは管理できるレベルだと認識しないと、いけないのです。

確率的、統計的に、リスクを判断できるくらいに、情報が集まり、公開されないといけないのでしょう。

リスク・ゼロに近いことを言えば、批判、非難が出にくいわけで、不確定要素が多い場合は、最悪の事態を考慮して、発言し、行動しようとするわけです。実際、そういう発言が幅をきかせる。

どんなに、確率的、統計的に判断しようと、未来は、不確実であり、その中で、どういう戦略で、課題に対処するかは、責任ある立場に着くほど、難しい面があります。

まぁ、政令上は、2021年2月には、指定感染症から外れて、従前の生活に戻りますよ。


追記・・・・

科学技術などの進歩により、各分野の知が深化して、より専門性が高い知が存在している。確かに、その進歩は、素晴らしいことであるが、

感染症、コロナ・ウィルス、ワクチン・・・等の知は、それぞれ深く難しいため、専門家の意見が正しく、シロートは口を出さずに、静かに文句言わずに、受け入れろ・・という時代になっている。

ただ、専門知も、発展途中の知識では、様々な意見が存在している。実際に、今回の新型コロナ問題では、専門家の中でも意見が分かれたりしている。

科学的な視点からでは、正しい事実・情報がそろわない限り、推測になり、未知は未知で予測できないというのが回答となる。

が、人間社会としては、意志決定を行うにあたり、ある程度の予測をもとに、より成果の出る戦略を選択したいと考える。で、専門家は、自分の専門分野の知見で、予測を提供するのだが、その際に、どうしても、リスクを取らない予測値を提示しがちである。 それで、42万人が死ぬなんて、予測を出したりする。

数式上は、その数式のパラメータと論理では、その数値が出るかもしれないが、誰が考えても、外れた数値だと感じる。

専門家が出すリスクは、その専門的な知見の中で、リスクを積んで、その分野の知としてはある程度正しいが、システムや社会は、様々なパラメータの中で、その要因が重なり合って、現象が生じていく。

そうなると、いくつかの専門知を総合的に判断して、全体として方針を決定する全体知が重要な位置づけとなる。

新型コロナでは、やれ後遺症だとか、やれ医療崩壊だとか、各々、専門家の発言を聞くが、最終的に、それらの発言を、全体として判断するという視点が抜けている。

本回答欄にもあるが、専門家の専門的な知見は、無視はできないが、全体として、どう判断するべきかということも、社会には重要なのである。

とはいえ、前述したとおり、本来、全体を見て判断するべき、責任者が、リスクを取らないのが、現代社会であり、全体の意志決定が、リスクオフに向かうのはしょうがない。